ボートピープル

先日、仕事で行ったベトナムから帰国する飛行機(香港乗換え)でベトナム人と思われる夫婦と隣り合わせになりました。
ご主人は小ぎれいなシャツにプレスのきいたスラックス姿、腕にはロレックスと思しき腕時計、離陸前にはモトローラV3シリーズの携帯を使ってなにやら話していたので、「結構リッチそうな人だなあ。普通に夫婦で香港まで行くようなベトナム人もいるんだなあ。そりゃそうだよな。全国民が貧乏っていう訳はないし」と思いつつ、その前日まで最低賃金が50米ドルくらいで中国より安い、とか言う会話などをしていたもので、正直意外だなと思って見ていました。
そのご主人がトイレに立ったのをきっかけに「ベトナムに行ってきたの?」と話しかけてきたので、「そうだ」と応えると「Poorな国だよね」と彼。東南アジアの人たちはプライドが高いと聞いていたので、自分や自分の国のことを誇ることはあっても「Poor」というのは大変意外でした。そんなこんなで香港に着くまでいろいろ話しをしたのですが、聞いてびっくり。実は彼はいわゆる「ベトナム難民」だったのです。
1979年の中越戦争の頃、国境付近に住んでいた彼の家族は故郷を離れハロン湾あたりまで避難したのだが、このままではどうしようもないとベトナム脱出を決意。高齢だった彼の両親は残り、彼の兄弟姉妹だけで小さなボートで冬の海に漕ぎ出したそうです。途中悪天候や嵐に見舞われ、中国沿岸部で身を潜めながら、なんと5ヶ月かけて香港に到着。その後香港からカナダに移住し、現在に至る。それが25年前で彼が22歳の頃の話です。「ベトナムには2週間ぐらい滞在したんだけど、今はカナダ国民なので僕もビザが必要なんだよね」と彼は笑いながらカナダのパスポートに貼られたベトナムのビザを見せてくれました。
何度も死にそうになりながら自分の人生を築いてきた人が隣にいる。
戦争やベトナム難民といった伝聞でしか知らない事実が突然リアルに迫ってくると同時に、隣のご主人への尊敬の念が自然と沸いてきました。
「もっとしっかりしろ!」と気合を入れられた気がするベトナム帰路でした。